[127] 大銀座落語祭に行ってきました!(つづき)
2008-07-28


さて、後半

  1. 7月20日(日)昼「異空間に身も心も任せてください!」
    第1部 三遊亭亜郎ミュージカルらくご
    第2部 狂言と落語の会
     第1部は、「ウエストサイド物語」のミュージカル仕立の落語、そして第2部は、狂言と落語のコラボです。生まれて初めて鏡を見てビックリの「松山鏡」や、古典落語の「子ぼめ」をアレンジした狂言が笑えました。もともと、私にとって狂言というのは縁遠い存在だったのですが、職場の仲間が演じるのを見たり、昨年・今年と、この大銀座落語祭で鈴々舎馬桜さんの案内で 狂言に触れ、楽しいもんだと思うようになりました。
  2. 7月20日(日)夜「ネタもよければ人もよし!!」
     今回の落語の中では、一番の正統派というか、古今亭駿菊「鶴亀」、立川談幸「抜け雀」、むかし家今松「千両みかん」、桂南喬「心眼」、桂文楽「素人鰻」、三遊亭楽太郎「船徳」と、古典落語を楽しめました。個人的には「心眼」が好きかなぁ 去年のこの大銀座落語祭で初めて聞いて、今回は2回目でしたが、やはり惹き込まれていきました。人間、何が大切か、偉そうに説教されているわけではないのに、自然に考えさせられてしまいます。
  3. 7月21日(月・祝)夜「柳家喬太郎と上方落語 その2」
     桂都丸、柳家喬太郎、桂雀々、柳家喬太郎(2回目)と出てきます。上方のお二人は、題名を失念しましたが、「父親がエロ小説のカバーだけを文学本に替えておくと、読書の時間に息子が学校に持っていって授業で読んでしまう」という話と、「頭から桜の木が生えてくる」という、単純にバカ笑いができる話でした。喬太郎さんは、途中で地震があり会場が揺れるハプニングもありながら、これも巧妙にネタにしてしまうあたりはさすがです。「悩んで床に臥せってしまう若旦那の話(わざわざ、「崇徳院」でも「(千両)みかん」でもない、と「さわり」が同じような展開の話とは違うと、断りをいれて笑わせたり)」と、「宮戸川」でありました。

時代が変われば…

同じ噺であっても、噺家さんによって全然、味が違ってきます。また、古典落語であっても、オチを微妙に変えてきているものもありますね。一方で、TVなどでは、いわゆる「差別用語」として放送できない言葉は、わざわざ言い換えたりする場合もあるようですが、そこまで必要なんでしょうか

前提となる知識・教養…

例えば、「モノマネ」というのは、元のマネされている「オリジナル」を知っているから、面白い。落語だって、その前提となる文化や習慣、時代背景などを知っているから笑える、という部分があるわけです。実は、今回、そういった文化や習慣、時代背景などに、自分がいかに疎いかということを感じました。そこがわからないと、面白みも半減どころか、全く伝わらない場合もあるわけです。もう少し、歴史とか文化とか、勉強しないといけません…

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「抜け雀」のオチは、「親を『駕篭かき』にしちまった」というのですが、これは「『駕篭かき』というのは、やはり良いものとして扱われていなかった」というのを前提としていないと理解できないわけです。今回は、マクラの部分で、自然とこういう前提を話してもらえていたので、すんなり理解できたのですが、そうでなかったら、わからないところ。もっとも、通の人からみれば、「まったく、そんな説明までしないとダメなのか?」となるのでしょうが…まだまだ、修行が足りませんと、思っていたら、圓窓さんは、こんな噺に変えられています…いやぁ、もっと、奥が深かった

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