[171] ANAがジャカルタ線を復活
2010-09-20


タイトルどおり…

来年1月からANAがジャカルタ線を復活させます。1998年8月に運行を中止してから、ほぼ12年ぶりの復活

ガルーダも…

さらには、既にこの9月からガルーダもジャカルタ線を復活させています。これで、JALとあわせて毎日3便が成田からジャカルタへ直行 そんなに需要があるのかな

そんな中で、ガルーダ有利なのは、機内でビザの発給と入国審査を行うサービス。空港に着いてから延々と並ぶイライラから開放されるのは大きなメリットですね。成田便でも実施されていれば、ガルーダを選んじゃうかも?

思い出されるのは…

そして、今回「全日空 ジャカルタ」で検索されたら、こんなページが出てきました。実は、このページを見ただけで、泣きそうになっちゃったんです…。

1998年5月12日、大学でのデモで発砲により死者が出た事件に端を発した暴動[脚注]は、ジャカルタや他の地方都市にも飛び火し、事態は日を追うごとに悪化していきました。5月14日には日本人学校から送迎バスが途中の道を安全に通ることができず、子供たちは学校に泊まることになりました。この時の教訓から、日本人学校には各自「お泊りセット」を置くようになり、当時は未就学だった息子が(私の2度目の赴任に伴って)日本人学校に通った時にも続いていました。

自分自身も、12日の重要な会議が途中で打ち切りになり、その後は連日、事務所で500人を超す関係者(家族を含む)や東京との連絡・調整に追われるようになりました。当初は、家族優先で一時退避帰国を検討していたのが、途中から原則全員が退避することになり、事務所は24時間体制で交代勤務、家には帰れず隣のホテルで仮眠する生活が続きました。

当時、ジャカルタの空港で退避帰国する妻子と別れる駐在員の姿などが報道されていましたが、結局、私の家族は19日に一足早く臨時便で帰国し、自分は翌日20日の夜行定期便でジャカルタを発ちました。21日の朝、日本に着くとスハルト大統領辞任のニュースが…。もう少し早ければ…と正直、気が抜けたものです。

何が印象に残るのか?

先日、このANAのジャカルタ便復活の話を当時駐在されていた方としていて、「まだ98年の臨時便運行のお知らせがWEBに残っているんです。」と言ったら、お相手はまさしくその臨時便に乗られた方でした。その時のCA(キャビン・アテンダント)は、本当に心優しく丁寧に乗客に接していたということ。きっと、精鋭のメンバーだったのでしょう。そして、成田に着いた時には「皆様、お帰りなさい。」とアナウンスがあり、続いて「今回は、このような形でのフライトで残念でしたが、次回は是非違う機会にお迎えしてゆっくりとフライトを楽しんで下さい。」という趣旨の言葉があったそうです。多くの人がウルウルしていた…と。


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